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0 ショパン国際コンクール機関紙に当校出身後藤絵理さん掲載

ショパン国際コンクール開催中に毎日発行される機関紙に、
日本人としてははじめて、当校出身で現在チェコで研鑽を積まれている後藤絵理さんが表紙を飾りました。
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0 2009海外研修 現地雑誌に掲載

                 
日墺140周年記念の冊子に、当校の生徒が出演した演奏会が掲載されました。
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02009海外研修旅行

3月26日北海道新聞夕刊に当校の研修旅行で行われたコンサートの模様が掲載されました。

記事全文
[日本とオーストリアの修好140周年記念行事として、札幌の音楽学院「札幌コンセルヴァトワール」の受講生とウィーン市の子どもたちによるピアノ交流演奏会が3月25日同市の二十区民会館で開かれた。
札幌や旭川など道内の小中高生11人が出演。昨年度の全日本ピアノ指導者協会コンクール中学部門で優勝した佐野峻司さん=札幌・中ノ島中2年=がリスト作曲「バラード2番」を演奏するなど、日ごろの練習の成果を披露した。約200人の聴衆から拍手喝采を浴びた佐野さんは「緊張したが、気持ちよく弾けた。音楽の都で素晴らしい経験ができた」と興奮気味。
出演者は現地のピアニストらの住宅にホームステイし、親交を深める予定。26日は別のメンバー16人が同学院卒業生でチェコで活躍するピアニスト後藤絵理さんらとともに、クラシック音楽の殿堂「ウィーン楽友協会」でピアノ演奏会を開く。今回の演奏会は、同学院の宮澤功行院長とウィーン在住のピアノ教師、和子ヤンコフスキーさんがともに桐朋学園(東京)出身だった縁で実現した。]
    



後藤絵理さん スメタナ国際コンクール優勝 美唄ニュースラインに掲載 
札幌コンセルヴァトワールで学んだ美唄市出身のピアニスト、後藤絵理さん(22=プラハ音楽院在学)が3月2-8日にチェコで行われた、第28回スメタナ国際コンクールで優勝した。同コンクールの優勝は、日本人としてはもちろん、アジア人初の快挙。さらなる活動の場をひろげる礎が作れたことを喜んでいる。 
参加者35名中、第3次予選を勝ち抜いた本選出場者4名のなかで、唯一のスタンディングオベイションをうける名演。審査員からの講評でも、「オリジナリティーあふれる演奏、今後が期待される。」と高い評価を得ていた。
・・中略・・本誌取材に後藤さんは、「信念をもって貫けば、結果に繋がる事がわかった」と話している。
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橘直貴さん、ルーマニアのコンクール優勝のニュースが毎日新聞に掲載
 昨年12月と今年1月に開催された「コンチェルトの夕べ with HARUKA」などでもご出演頂いた、当音楽院出身の指揮者、橘直貴さんがルーマニアで開催された第2回バルトーク国際オペラ指揮者コンクールで1位受賞、毎日新聞に掲載されました。

ルーマニアの国際指揮者コンで1位
 札幌市在住の家族に入った連絡によると、同市厚別区出身で現在は首都圏などで活動する指揮者、橘直貴さん(38)が8日、ルーマニアで行われた「第2回バルトーク国際オペラ指揮者コンクール」で1位を獲得した。
  橘さんは3歳からピアノを始めた。指揮者の道を志し、札幌開成高から桐朋学園大(東京都調布市)に進学。01年に若手の登竜門として知られる「第47回ブザンソン国際指揮者コンクール」(フランス)で決勝に進出し、2位に入賞した。現在は札幌や関東を中心に指揮活動を行なっている。
  妻幸絵さん(31)は「年齢も高くなって、参加できるコンクールが限られていた。少ないチャンスの中で、優勝できて本当にうれしい」と喜んでいた。』
宮澤功行院長、ムジカノーヴァ 2006年7月号に掲載記事

ムジカノーヴァ2006年7月号に札幌 コンセルヴァトワール院長の宮澤功行先生の執筆記事「ピアノのタッチについて」が掲載されました。(P.68-69)

 木村友梨香さんの新聞掲載記事 北海道新聞 2005年1月12日

第6回ショパンコンクールinASIA 小学校5・6年生の部で金賞を受賞された、木村友梨香さんの記事が北海道新聞に掲載されました。


五日に福岡国際会議場で開かれたピアノの「第六回ショパン国際コンクールinASIA」(同組織運営委員会主催)で、岩見沢市内の小学六年生の木村友梨香さん(11)が「小学五、六年生部門」で最高賞の金賞に輝いた。道内出場者では唯一の金賞受賞で、小学生から一般のソロ部門までで最高得点を取った演奏者に与えられる特別賞の受賞も決まった。

 アジア大会は、世界的に有名な「ワルシャワ・ショパン国際コンクール」への足掛かりとなる若手の登竜門で、国際的に通用する優れたピアニストの発掘、育成を目的とし、審査基準は高い。
 木村さんは、演奏順が全十六人の出場者中で最初だった。基準点が定まらず、最後には印象の薄れるトップは最も不利といわれ、「順番が決まったときはショックだった」。それでも「賞は考えず、自分の一番いい演奏をしよう」と気持ちを切り替えて演奏に集中。課題曲の二曲を優雅にしっとりと弾き切り、見事に金賞を獲得した。

 木村さんは、市内でピアノ教室を開く母親の真由美さんの手ほどきを受け、四歳でピアノを始めた。五歳で初出場した全国大会で、いきなり審査員特別賞を獲得するなど幼い頃から頭角を現した。
 一方、現在も身長133センチと小学六年生としては小柄で、今回のアジア大会も手作りの延長ペダルを用いて臨み、栄冠をつかみとった。指導する札幌の宮澤功行さんは「悪い演奏順をものともせず、正統派の演奏ができた」と絶賛。木村さんは「結果が出ずに泣いちゃったこともあったけど、気持ちよく演奏できて良かった」と喜びをかみしめている。


 宮澤むじかさんの記事が、レッスンの友2005年1月号に掲載されました。

「レッスンの友」2005年1月号のインタビュー記事に宮澤むじかさんが掲載されました。(P.38-42)。

 宮澤むじかさんの東京リサイタルがベストコンサート2003の1つに選ばれました

「音楽の友」2月号の特集企画「30人の評論家・記者が選ぶコンサート・ベストテン2003」にて,音楽評論家の原明美氏がベストテンの一人に,アルゲリッチやツィメルマンらの来日公演と共に宮澤むじかの東京リサイタルを御選出下さいました(P.76)。

 宮澤むじかさんの各種掲載記事 2003年
■音楽現代 12月号 P.194
以下,一部抜粋
「強い感情移入と閃きに満ちた,並々ならぬ天才ぶりを披露したように思う。(中略)ドビュッシーの響きの美しさは格別。」

■MUSICA NOVA 12月号 P.97
以下,一部抜粋
「まず,ショパンの演奏では,歌心が豊かで,情熱にあふれ,多彩な表現力を聴かせる。自分の演奏空間を見事に作り上げたなかに,ショパンのロマンティシズムを思い切り表現しており,彼女の音楽性がきらきらと輝いているように感じられる。」

■ショパン 12月号 P.8
以下,一部抜粋
「意欲的で独自の方向を持つピアニストである。後半におかれたドビュッシーの前奏曲第2巻が特に素晴らしかった。ゆたかな色彩を駆使して,ときには大音量を利用することも恐れずに,別のときにはきわめて繊細に響きをとらえて,さまざまな音の絵を描いていく。(中略)演奏会全体を通じて若さの魅力と可能性が印象に残る。宮澤むじかが今後も意欲的に活動されることを強く期待する。」

■音楽の友 12月号 P.199
以下,一部抜粋
「なかなかに音楽性の豊かな,才能に恵まれた新人の登場である。技巧的によく整えられていてその点でも感心したけれど,ただ単に機械的に弾きとばしてしまうという内容とは異なり,音たちを,メロディを,ハーモニーを,よく感じ,味わっている。そんな印象を強く受ける演奏であった。(中略)」

他,音楽の友(別月号)やレッスンの友等,多数掲載されました。
 宮澤功行先生の海外コンクール審査レポート PTNAのHPに掲載 2003年
札幌コンセルヴァトワール院長の宮澤功行先生のプラハで行われた国際コンクールでの審査についてのレポートがPTNAのホームページに掲載されました。
http://www.piano.or.jp/news/internationalcompetition/judge/2003Prague.html
 佐竹茉梨子さんのPMFコンサート出演の記事が毎日新聞に掲載 2003年7/21
札幌コンセルヴァトワールの生徒さんである,佐竹茉梨子さんがPMF2003のレナード・バーンスタイン・メモリアル・コンサートに出演し,リストの「ラ・カンパネラ」を演奏し,それに関する記事が写真入りで掲載されました。
 宮澤功行院長の新聞掲載記事 毎日新聞 2003年1月23日
宮澤功行院長の記事が毎日新聞に掲載されました。

[パリ国際コンクール審査員に参加して]
冬のパリを万華鏡の様に彩るイルミネーションは正に芸術です。
数百年前に王妃カトリーヌ・ド・メディチが外貨を得る目的でパリをヨーロッパ最大の文化都市に仕上げた伝統が電飾にも受け継がれているフランスには偽物を認めない文化的土壌が確りと根付いています。

昨年12月審査員に招待されたパリ国際コンクールは今まで体験したどの国際コンクールよりもクオリティが高く超ハイレベルなコンクールでした。

主催者によると『公募すると200名位集まるので,予めこの委員会で各種国際コンクールの1位か2位クラスの逸材に参加を勧め,本選を2回という形で行っている。
審査員もショパン国際コンクールの審査委員長を始めチャイコフスキー国際コンクールの審査員や世界的な音楽家と批評家などで構成し,聴衆と審査員の負担を軽減する様にして運営している』とのことでした。

従って参加者は既にプロとして活動をしている逸材ばかり,そんな中で私はイタリアのジュゼッペ・アンダローロ(2000年のポルト−国際コンクール第1位・2001年 ロンドン国際コンクール第1位・仙台国際コンクール1位)とドイツのマーティン・ヘルムヒェン(2001年 クララ・ハスキル国際コンクール第1位)を押しましたが残念ながら入賞出来ませんでした。

しかし彼らの音楽はバンドーム広場のショーウィンドーを飾る宝石の様な気品が漂う高貴なものでした。

結局一位はシエン・ソン(上海)(1996年 北京国内コンクール第1位・2001年の上海国際コンクール第2位・2001年 ポルト−国際コンクール第2位・2002年 モロッコ国際コンクール第1位) が聴衆賞も合わせて150万円を獲得,北京のワン君も含めて中国パワーを改めて印象付けました。

中国では改革解放後,祖国再興の為に海外留学者に優遇政策を与えて帰国を促し,それが文化と科学技術の発展の原動力になっていること等々を聞き、今だに旧態然として変わらない日本を憂いてしまいました。

こうした情報を各国の審査員や出演者と交す大きなパーテイも3回あり、真の交流・親睦を持てた実り多い国際舞台でした。

また、様々な国際コンクールの審査員をしてきて今回ほど「価値観の違いや極端に言えば好き嫌いで決まる音楽芸術に於いて,順位に振り回されると自滅する」と思ったことはありません。

このハイレベルな音楽家達に順位を付ける事が残酷に感じました。幸い,入賞を逃した人達も、たまたま今回は結果が付いて来なかっただけで自分達は芸術性豊かな演奏をしたとういう満足感に満ち溢れていました。

芸術への自信がそうさせるのでしょうが、一位のソン君を皆で祝福する情景は見ていても実に清々しく、素晴らしい精神性を感じさせてくれるものでした。

仕事を終えて通訳&秘書として同行の娘とパリを散策、すっかりカトリーヌ・ド・メディチの魔術に魅了され,後ろ髪をひかれる思いで帰国の途につきました。
 音楽療法についての新聞記事(毎日新聞) 2002年1月17日/11月21日
札幌コンセルヴァトワールが札幌逓信病院と進める、「音楽療法に関する高度医療研究」についての記事が掲載されました。
http://www.mainichi.co.jp/area/hokkaido/muse/2002/020117.html
http://www.mainichi.co.jp/area/hokkaido/muse/2002/021121.html
当校生徒さん、木村友梨香さんについての新聞記事 2001年11月
当校生徒の木村友梨香さんの取材記事が、11/21付けの毎日新聞朝刊に掲載されたので、記事全文を紹介させて頂きます。
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21世紀-北海道の100人
8歳のピアニスト 木村 友梨香 さん

 昨年8月、東京で開かれた全日本ピアノ指導者協会(PTNA)ピアノコンペティション全国決勝大会で金賞(成績第1位)を獲得した。そのごほうびで11月には、ドイツの首都・ベルリンで開かれた国際コンクールにゲストで出演。カラヤンが設計した「ベルリンフィルハーモニー・コンサートホール」でコンクールに先立ち演奏した。

 母,真由美さん(38)らが「心臓が飛び出るほど」心配しながら見守ったのをよそに、カバレフスキーの「スロバキア民謡による変奏曲」をミスなく堂々と演奏。ホールを埋め尽くした約1500人の聴衆からカーテンコールが起こった。本人は「ドキドキしたけど、大勢の人の前で弾けたのがうれしかった」とにっこり。わずか2分半の楽しい出来事だった。

 人前でピアノを弾くのが大好きだ。3歳のとき、姉の麻里江さん(11)が弾いているのを見て、ピアノを習いたいと母にせがんだ。間もなく、真由美さんのピアノ教室の発表会で「前座」として「メリーさんの羊」を披露した。まだ右手だけのつたない演奏だったが、父母らの温かい拍手を受け「人に聴いてもらうのって楽しい」と実感した。

 98年、PTNAピアノコンペティションに初出場し、全国の決勝大会まで進み、審査員特別賞を受けた。より高いレベルを求め、5歳から札幌市で音楽教室を開いている宮澤功行、陽子夫妻に師事。週1回は同教室に通う。陽子さん(47)は「曲を『こう演奏したい』という自分の音楽づくりを常にしているので、教えがいがあって楽しい」と将来性に期待する。

 11月22日午後7時から、札幌コンサートホールキタラで初のリサイタルを開く。1日平均5〜6時間ピアノに向かい猛練習している。リサイタルでは、ショパンの夜想曲など8歳には難解な5曲を演奏する予定だ。

 ペダルに足が届かないので、父光彦さん(36)手作りの補助ペダルでリサイタルに臨む。「踏み心地がよく、いい演奏ができると思います。キタラでは、いい音色を響かせたい。頑張ります。」

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きむら・ゆりか 8歳。岩見沢市立美園小3年。99年毎日こどもピアノコンクール・小学校1年の部本選会銀賞受賞。岩見沢市出身。

<10年後の私>
速い曲が弾けて美しい音を出せる、すてきなピアニストになりたい。世界を舞台にピアノを弾けるようになっていたい。

 宮澤功行院長の新聞掲載記事 毎日新聞 2001年10月
2001年10月18日の毎日新聞朝刊の「ミューズに抱かれて」に、札幌
コンセルヴァトワール院長の宮澤功行先生の執筆記事が掲載されました。



カール・チェルニー国際コンクール
「歴史が培った夢舞台」
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<審査員の見たプラハ>
今月初めチェコ・プラハで行われた第3回カール・チェルニー国際コンクールに審査員として招かれた札幌コンセルヴァトワールの宮澤功行院長が、コンクールの様子などを寄せてくれた。
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 「テロを恐れずにここへ来られたあなたたちはテロの勝利者です。私達はその勇気をたたえ、共に音楽という武器で人類の未来へ貢献していきましょう」という主催者のあいさつで始まった第3回カール・チェルニー国際コンクールは20カ国82人の参加者を得て7日から1週間チェコ共和国の首都プラハで幕を開けました。

 ピアニストで現在チェコフィルの常任指揮者、ウラジミール・アシュケナージのアドバイスで創設されたこのコンクールはラザール・ベルマン(イタリア)、ハンス・カン(オーストリア)、フランツ・ミューラーホノザー(ドイツ)他、各国から著名な音楽家を審査員に招聘して大きな国際コンクールを目指すための国際コンクールとして隔年で開催かれてきました。

 モルダウ川が街の中央をとうとうと流れるプラハは街角から今でもベートーベンやモーツァルトが現れそうな、まるで何世紀か前にタイムスリップした不思議な感覚に襲われる街です。旅人はよく黄金のパリ、いぶし銀のプラハと例えますが、長い歴史を包み込んだそのたたずまいは都市そのものが深遠な内面性と個性を兼ね備えているように感じます。

 民族的な特質も多種多様なヨーロッパで、私はこの10年余、いろいろな国際コンクールの審査員として招待され、西洋音楽の奥深さと底力に触れ、いつも新鮮な感動を覚えてきました。会場で熱心に聴き入る教授たち、優れた演奏に盛大な拍手を送る耳の肥えた聴衆とカーテンコールに応える演奏者など、どれをとってもなぜか冷めた感じの日本のコンクールとは大きく違います。

 激論が時にはけんかにもなる審査会の光景は、自分の意見をしっかり伝えることの大切さを演奏者と審査員の双方に求めており、決して価値観を譲らないことで、その国が長い歴史と共に培ってきた音楽的伝統を守っているようにさえ思えます。予選の古典派のソナタ、本選のピアノ協奏曲など、すべて全楽章カットなしのハイレベルな演奏が終日聴衆を魅了し、改めて音楽の本質を真剣に訴えかける世界の精鋭たちの演奏こそが、国際コンクールの醍醐味と感じました。

 決勝の5人とプラハ交響楽団との共演、ベートーベンもリストもここで演奏会をしたという目もくらむようなホールでのガラコンサート、各国の大使・公使が列席しての盛大なパーティーにテレビ・インタビュー・・・・カレル大学講堂のパイプオルガンが壮麗に鳴り響く中で格調高く執り行われた表彰式では、弦楽合奏団が入賞者をたたえるドボルザークの弦楽セレナーゼを奏でるというあか抜けた演出。

 式典の最後に指名され「現在、世界の人々はアメリカで起きた悲惨な出来事によって病んでおりますが、日本との音楽交流を通して、私は皆様と共に夢と希望の持てる未来を考えていきたいと思っております」とスピーチ、すべての催しを終えました。

 振り返ると、そのどれもが映画の中に自分が入り込んだような幸せな一週間で、「帰ったら子供たちと世界でも通用する音楽を目指していこう!」という活力がわいてきました。

 今ではすっかり心の栄養剤となった国際コンクールの余韻と紅葉色づく古都の風情を味わいながら、私の夢舞台を後にしました。

 宮澤功行院長の新聞掲載記事 北海道新聞 2001年9月
2001年9月24日の北海道新聞朝刊に掲載された、宮澤功行に関する記事を掲載致します。


札幌の宮澤さん   
20年連続で指導者賞受賞!!

参加者が国内最大規模のピアノコンペティション全国大会で、札幌市南区の音楽学校を主宰する宮澤功行さん(54)が、20年連続で指導者賞を受賞した。
 大会で優秀な成績を収めた生徒の指導者に贈られる賞で、20回以上の受賞は全国にも数人しかいない。宮澤さんは「子供と一緒になって全力を傾けてきた結果」と喜んでいる。
 8月下旬に東京で開かれた第25回ピティナ・ピアノコンペティション(全日本ピアノ指導者協会主催)。本年度は全国から延べ2万7千人が参加した。指導者賞は全国大会に2人以上出場させることなどが条件で、今回は204人が受賞したが、20大会連続は宮澤さんだけだった。
 宮澤さんは1965年から桐朋学園大学でピアノを学んだ。その後、演奏家として活躍するかたわら、「大学で経験した才能を延ばす教育を、地元の北海道で試してみたい」と、70年から指導を始めた。79年には、指導者となった教え子と一緒に札幌ピアノ音楽院(現札幌コンセルヴァトワール)を設立。現在まで、国内はもちろん、国際コンクールで入賞する演奏家を何人も育てている。
 「課題曲を仕上げていく中で個性を磨き上げていくと、子供たちは最初は目立たない存在でも”芸術品”に変わる。いつも驚きで、本当に楽しい」と宮澤さん。
 「教え子が指導者になり、その下の世代の優れた才能を育てていくという、未来へのつながりを持てるのは教育者ならでは。今後も目標を持ち、指導を続けていきたい」と、熱っぽく語った。